◆◆◆◆◆
「なるほど、確かに痛みは共有されているようですね」
遥が地面を転げ回っている中、コナリーは冷静に腕の傷を眺めていた。
自らの剣で斬った傷口は深く、鮮血が甲冑を濡らしている。
だが、痛みの共有者である遥のほうが、よほど大袈裟に苦しんでいた。
「いやいやいやいや……ッ! 何してくれてんだお前!!」
遥は痛みに顔を歪めながら、コナリーを見上げた。
「契約の確認です。聖女の能力が問題なく機能するか、試さねばなりませんから」
コナリーは当然のことのように言った。
「試すなら、もっと軽いやつでやれよ!! なに本気で腕切ってんだよ!!」
「軽い傷では、十分な確認ができないでしょう?」
「できるわ!! せめて、ちょっと指でつねるとかにしろ!!」
遥は呻きながら自分の腕を見た。
傷自体はコナリーのものなのに、遥の腕にもまるで同じ傷があるかのように痛みが走っている。
皮膚が裂け、血が流れる感覚まで伝わってくるのは、何かの拷問かと思うほどだった。
――これ、無理じゃね?
遥は絶望的な気持ちになった。
これから魔王討伐に向かうのに、契約相手がこんな無茶をする騎士で大丈夫なのか。
いや、そもそも こっちのほうが耐えられない。
「はぁ、はぁ……! くそ……!」
遥は痛みを抑え込もうとしながら、なんとか冷静になろうとした。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
このままでは 戦闘のたびに死にかける。
「……とりあえず、早く回復魔法を使わないと」
遥は必死に意識を集中させ、聖女としての能力を発動させようとした。
契約の説明では、聖女は 「契約相手の傷を回復できる」 ということになっている。
「癒しの力よ……!」
目を閉じ、契約による神聖な力を呼び起こす。
遥の手が微かに温かく光り、コナリーの傷口を包み込んだ。
じわじわ……
「……遅いですね」
コナリーが腕を動かしながら、じっと傷の治りを見つめる。
「いや、待て! ちゃんと治ってるだろ!」
「ええ、治っていますが……予想よりずいぶん遅い。」
コナリーは傷口を確認しながら、ほんの少しがっかりしたような表情 を見せた。
「この速度では、戦闘中に負った傷を即座に回復するのは難しいですね……」
「いやいやいや、贅沢言うなよ!? 俺、今回初めて回復魔法使ったんだけど!?」
「ふむ……」
コナリーはしばらく考え込んだ後、遥をじっと見つめた。
「では、もう少し大きな傷で試してみましょうか」
「やめろおおおおおおおおお!!!」
遥は慌てて後ずさった。
「何をする気だ!!? もう契約の確認は終わっただろ!!?」
「いえ、戦闘を想定した場合、もう少し重大な負傷を回復できるかを試さなければなりません」
「試さなくていい!! 俺の命が先になくなる!!!」
必死に逃げようとする遥だったが、すぐに後ろに何かがぶつかった。
振り向くと、そこには聖女を監督する神官たちが立っていた。
「……山下聖女様、契約の確認は大切な儀式です」
「いや、コナリーが自分を傷つけようとしてるんですけど!?」
「王国のために戦う聖女として、契約騎士の力を最大限に引き出せるかの確認は不可欠です」
「いやいや、普通にやめようよ!? もう十分わかったじゃん!!」
遥は叫んだが、コナリーも神官たちも、どこまでも真剣な表情だった。
「大丈夫です。次はより深い傷で試しましょう」
「大丈夫じゃねええええええええ!!!」
遥の叫びが響く中、第二回目の「契約確認」が始まろうとしていた。
――聖女になった異世界生活、早くも限界が来そうだった。
◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆夕暮れ時の柔らかな光が、食堂の高窓から差し込んでいた。重厚な木製のテーブルの上には、湯気の立つスープ、こんがりと焼かれたパン、香草でローストされた鴨肉、そして色とりどりの温野菜の煮込み料理が、所狭しと並べられている。どれも邸の料理人たちが腕をふるった品々で、香りが室内をほのかに満たしていた。使用人たちが食器を整え、静かに身を引くと、食堂には四人だけの静かな空間が残される。遥はまだ少し身体の重さを感じていたが、こうして皆と向かい合っているだけで胸がじんわりと温かくなった。自分が倒れたことを皆が気にかけてくれた。それが嬉しくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。「……いただきます」静かにそう口にすると、それに続くように他の三人の食事が始まった。「………」遥は香草の香り立つスープを静かに口に運び、ひと匙、またひと匙と黙って味わった。けれど、食べ進めるほどに胸の奥で何かが重くのしかかっていく。やがて、そっとスプーンを脇に置いた遥は、目の前の食卓に視線を落としながら、ゆっくりと口を開いた。胸の内には、ずっと伝えなければならない想いが燻っていた――。(今、言わなきゃ……このままじゃ、何も進まない)ふと手を止め、遥は深く息をつく。「……あのさ。俺、話があるんだ」唐突な言葉に、全員の手が止まり、視線が一斉に遥へと向いた。スプーンを置き、遥はまっすぐに三人を見渡した。 にぎやかだった会話が止まり、全員の視線が遥へ向けられる。「夢を見た。アーシェが出てきて……その中で、彼の兄――カイルが封印されている場所を見せられたんだ」コナリーの眉がわずかに動く。ノエルは息をのむように頷き、ルイスは言葉を飲み込んだまま、無表情を保った。「彼は言ってた。『兄を目覚めさせてくれ』って……多分、それが、アーシェの最後の願いなんだ」その言葉に、ルイスの表情が険しくなる。「……だめだ」低く落ち着いた声だったが、そこには揺るぎない拒絶の意志があった。「魔王が再び生まれる可能性がある。もし異能が暴走すれば、手がつけられない。それを目覚めさせるのは、あまりにも危険すぎる」「それでも、俺は行きたい」遥は静かに言い返した。その声には、確かな熱が宿っていた。「彼の願いを、俺は無視できない。……それに、確かめたいんだ。あの兄弟が、本当に望んでいたものが何だっ
◆◆◆◆◆――岩に沈む王たちの影。冷たい空気が石の間をすり抜け、刻まれた封印陣の中心に光が集まっていく。「遥……」その声に、遥はゆっくりと顔を上げた。夢の中。彼は、青白く透けたアーシェの姿を見つめていた。「この先にある。僕の兄が眠る、あの場所が……」言葉と共に視界が揺らぐ。浮かび上がったのは、広大な石造りの広間。壁には古代文字が刻まれ、床には複雑な魔法陣。高く昇る天井の奥は、薄闇の中に沈んでいる。「君が来てくれるなら、道は開かれる。……指輪が、君を導くだろう」光が揺らぎ、アーシェの姿が淡く滲んでいく。その指先に手を伸ばそうとした瞬間――霧が立ちのぼるように、彼の姿は静かにかき消えた。(……ああ、ここが……封印の地)◇◇◇「……っ」遥はまぶたを震わせ、ゆっくりと目を開けた。部屋の中には、夕暮れの光が差し込んでいた。厚いカーテンの隙間から、赤く染まった空が見える。少し肌寒い風が、頬を撫でた。すぐ隣には、金の髪。コナリーが椅子に座ったまま、眠るように目を閉じていた。けれど遥が動いたのに気づくと、すぐに瞳を開き、柔らかな笑みを浮かべる。「……目覚めて、良かった」
◆◆◆◆◆遺物が並ぶ部屋の片隅。ルイスは、ゆっくりと扉の方を振り返った。その先には、コナリーの腕に抱かれて廊下へと消えていった遥の姿。ぎゅっと胸に抱きしめられて、まるで眠るように安らいでいた。(……本当は、俺があいつを抱きとめたかったのに)そんな思いが、胸の奥にじくじくとした痛みを残す。だが、言葉にはできなかった。王族の矜持が、簡単に感情を露わにすることを許さない。「……遥を頼んだぞ、コナリー」そう口にしたのは、せめてもの誠意だった。けれど、その言葉とは裏腹に、嫉妬にも似た感情がじわじわと胸の奥を蝕んでいた。遥の視線が自分ではなく、コナリーに向けられたこと。その笑顔を、自分ではなく彼が受け止めていたこと。(あの腕に包まれて、何を思った……?)自分が入り込む隙など、最初からなかったのかもしれない――そんな無力感が、静かに心を濁らせていく。ふと足元に目をやると、革表紙の手帳が落ちていることに気づいた。(……遥が倒れたときに)しゃがみ込んで拾い上げ、指先でページをめくる。見慣れない古代語の文と図が描かれていた。「ルイス様」すぐそばで声が上がった。振り返ると、ノエルが少し身をかがめながら、遺物の石板に手を伸ばしている。それが、遥が触れて気を失った原因の石板だと気づいた瞬間、ルイスは思わず声を上げた。「やめろ、それは……!」「大丈夫です。今のところ、何も反応はありません」ノエルはおそるおそる触れながらも、指で表面の文様をなぞる。「無茶するな。まったく、怖いもの知らずだな」「よく言われます。……でも、好奇心には勝てなくて」子どもじみた笑みを浮かべながらも、ノエルの瞳は真剣だった。彼は石板に刻まれた文字を慎重に追い、声に出して読み上げる。「『異能の魂、眠りの岩に沈みて、光に還る時を待つ』……これは詩のようですね。封印の術式の一部かもしれません」ルイスは手帳を閉じ、ノエルの隣に膝をつく。「魂ごと石に沈める……過去に見た幻とも一致する。恐らく、アーシェが封じられた時にも、この術式が使われたのだろう」そのとき、ノエルが指差した。「……ここ、“聖女”の文字があります」「……聖女、だと?」ルイスは表情を強張らせながら、石板に手を伸ばした。指先が触れたその瞬間、かすかに紫がかった光がじんわりと石板から滲み出す。「……っ
◆◆◆◆◆二人のやり取りを少し離れた場所で見守っていたルイスは、ふと視線を逸らした。「コナリー、遥を頼む。私たちはここで調査を続ける」「承知しました」「それと――」そう言いかけて、ルイスは一歩だけ近づくと、遥の頬にそっと触れた。「……体調が戻るまで、無理はするなよ。顔色が、まだ少し悪い」「……う、うん……ありがとう、ルイス……」ルイスの優しい気遣いに顔を真っ赤にしながらも、遥はコナリーの腕の中で小さく息を吐いた。◇◇◇そのまま、コナリーに抱きかかえられて部屋へと向かう。扉が閉じられ、静かな寝室に入った瞬間、空気がふわりと和らいだ。ベッドに優しく降ろされた遥は、コナリーの顔を見上げた。「……なにか、見たのですか?」コナリーの問いに、遥は思わず目を伏せた。幻で見た全てを――カイルの封印を解く方法を、自分が知っているということを、今ここで言うべきなのか。躊躇いと、恐れと、罪悪感。その狭間で言葉を選べずにいると、コナリーはそっと遥の髪を撫でた。「無理に話さなくても大丈夫ですよ、遥」その声音は柔らかく、包み込むようだった。
◆◆◆◆◆白の空間に戻った遥は、しばらく何も言えなかった。石化の中で眠る王と聖女の記憶。祈りによって封印が緩むよう仕組まれた術式。その真意。すべてを視た遥の隣に、アーシェが立っていた。彼の表情は、以前よりも穏やかだった。「……これが、すべての始まり。そして、僕がずっと願ってきたことでもある」「願い?」「兄を、カイルを……目覚めさせたい。ずっと、あの暗闇の中で叫んでた。誰にも届かない、ただの祈りのように」遥は視線を落とし、左手の指輪を見つめた。「君は……その祈りの声を、この指輪を通して伝えてたのか」アーシェは小さく頷く。「僕は、あの時――魔王として討たれた。でも、すべてが失われたわけじゃなかった。指輪に残された“僕”は、まだ兄に会いたいと思ってた。……王国を恨んでもいた。でも……」彼はそっと視線を遥へ向ける。「君が……あのとき、手を伸ばしてくれたから。コナリーに力を与えた、あの祈りに……優しさに、触れたから。だから、今の僕はこうして話していられる」遥はその言葉を聞きながら、胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚に襲われていた。「君の願いは……カイルを目覚めさせること。でも、それって……」「新たな魔王
◆◆◆◆◆再び、記憶が動き出す。白の空間に色が流れ込み、空が、風が、大地が姿を変えていく。視界の中に現れたのは、かつて見た王都とは違う――静かで穏やかな街並みだった。人々の顔には笑みがあり、農地は実り、街には歌声が流れていた。「……これが、竜を倒した後の王国」遥の隣でアーシェがそっと頷く。「しばらくの間、すべてが平和だった。王国は潤い、民は笑い、王と聖女は並んで国を支えた……。直人の知識と、レオニスの誠実さが実を結んだ、輝きの時代だったよ」◇◇◇だが、ある日。空を吹き抜ける風が、突如として刃と化した。街を歩く人々を切り裂き、大地は亀裂を生み、幾人もの命を呑み込んでいった。「これは……何だ……?」レオニスは胸を押さえながら呻いた。魔力が制御できない。力が暴走している。王都では突発的な魔力災害が相次ぎ、人々は怯えて家に閉じこもった。「王が……あの優しかった王が……」人々のささやきは恐れと失望に満ち、やがて王宮を遠巻きにするようになる。直人は、毎日のように王の元に駆けつけた。「俺がもっと、早く気づいていれば……」